映画 最終章 水車のある村

                    水車のある村 新緑の季節

          

     安曇野に入り、「水車のある村」を訪ねた旅人が辺りの景色を眺めながら遊歩道をぶらぶらして
    いると、”こんにちは”と挨拶しながら通りすぎて行く子供たちがいた。見ていると子供たちは、
    道端に咲いている野花を摘んで、橋の袂の石の上に置いていった。旅人が見たことのない情景で
    ある。どうして石の上に花を?...と思いながら旅人は先を歩いて行った。

                           水車のある河畔を歩く旅人

          

     そこからほどなく、清冽な流れの河畔で水車の修理をしていた老人を見かけ話しかける。
    「こんにちは、この村は何という村ですか?」...老人、旅人の声に気づき
    「名前なんかないよ、村の人はむら、外からきた人たちは水車村と呼んでいるがね」
    「この村の人たちはみんなここに住んでいるんですか?」
    「いや~、住んでいる村は別にある」

                  水車の修理をしている老人に話しかける旅人

          

     旅人、そばに建つ暗い小屋をのぞき
    「ここには電気は引いてないんですか?」
    「あんなもの要らない、人間は便利なものに弱い、便利なものほどいいものだと思っている、本当
     にいいものを捨てている」
    「灯りはどうするんです?」
    「ロ-ソクもあれば種油もある」
    「夜は暗くないですか?」
    「暗いのがよいのだ、夜まで昼のように明るくては困る、星も見られなくなるほどの明るさなんか
     いらない」...旅人遠くに眼をやり
    「田んぼがあるようですが、耕運機や収穫に使うトラクタ-もないようですね?」
    「そんなもの要らん、牛もおるし馬もおる」
    「燃料には何を使っているんですか?」
    「おもに薪を使う。生きている木を切るのは可哀そうだが、けっこう枯れ木もあるのでそれを使う、
     牛の糞もいい燃料になる」

                       旅人に話す老人

          

     この老人なかなかの人物、長老と呼ばせてもらうことにした。水車の手入れをしながら長老は
    話し続ける。
    「私たちは昔のように自然な暮らしかたをしたいと思っている。近頃の人間は、自分たちも自然の
     一部だということを忘れている...自然あっての人間なのに、その自然を乱暴に弄りまわし、
     もっといいものができると思っている。とくに学者は頭はいいのかもしれないが、自然の深い
     心がさっぱり分からんものが多いのには困る。その連中は、人間を不仕合せにするものを一生
     懸命に発明して得意になっている。また困ったことに大方の人間はそのバカな発明を奇跡の
     ように思ってありがたがり、その前に額ずく。そのために自然が失われ、自分たちも滅んで
     いくことに気がつかない。また人間にいちばん大切なものは、いい空気やきれいな水、それを
     つくりだすのは木や草なのにそれは汚されほうだい、失われほうだい、汚された空気や水は
     人間の心まで汚してしまう。」
                     長老の話に聞き入る旅人

          

     旅人、河畔に咲いている野花を見て子供たちのことを思い出し、長老に尋ねる。
    「いまこちらへ来る途中で、子供たちがみんな橋の袂に花を置いてくるのを見たんですが
     あれはどういう...」
    「ああ、あれは死んだ親父から聞いた話なんだが、なんでも昔あそこで旅人が息を引き取って
     倒れた。可哀そうだと思って村人たちがそこへ埋めて墓の代わりに石を置き、花をそえて
     やったらしい。その習慣が今になっても残つている。子供たちに限らず村の人たちも石の
     ところを通るとき、わけも知らずに花をのせてゆく」

                 橋の袂の石の上に花を置いてゆく子供たち

          

      そんな話を聞いているとき、旅人は遠くからテンポよく響いてくる音を耳にし
     「今日はお祭りがあるのですか?」...長老手を耳にかざし
     「エッ、いや~あれは葬式だよ、あんた変な顔をするが本来葬式はめでたいものである。よく
     生きてよく働いてご苦労さんと言われて死ぬのはめでたいことだ。この村には寺もないし坊主
     もいないから、死んだ人を弔うため、ああやって村中の人が起きて丘の上の墓場まで行くんだ。
     もっとも子供や若いもんが死ぬのはいかん、めでたいとは言いにくいからな。しかし幸い、
     この村の人たちは自然な暮らしをしているせいか、だいたい歳の順に死んでいく...あの葬式の
     婆さんも99際の大往生でな...」

      河畔にはさわやかな風が吹きわたり、高い梢からカッコ-の鳴き声が聞こえ、萌え始めた
     若葉が眼にしみる新緑の季節を迎えていた。すべての生き物が躍動する安曇野の初夏である。

     いつのまにか辺りに響いていた音はしだいに大きくなり、対岸には森の小道を進んでくる村人
    の葬儀の列が見えてきた。中ほどに棺らしきものが担がれ、その前後に賑やかな音楽に合わせて
    村人たちが踊りながら
進んでいる。みな赤や青の衣装を身に着け、これが葬儀の装いなのかと
    思うほどの華やかさである。


                  森の小道を進んでくる村人の葬儀の列

          

     それに気づいた長老は
    「ところで、わしも葬式に出にゃならんので失敬する」...と言って腰を上げ小屋の前まで行った
     が、急に後ろを振り向いて旅人に
    「実はな、あの死んだ婆さんはわしの初恋の人でな、わしに失恋させてほかの奴のところに
     嫁に行ってしまったんだがね...ア~ハッ!ハッ!ハッ~!ハア~!...」と言いながら小屋に
     入る。
                葬式の婆さんは、わしの初恋の人だったと話す長老

          

     長老、赤い服を纏って鈴を鳴らしながら小屋から出てくる。
    「ところであなたはお幾つですか?」...旅人尋ねる。
    「わしかね?...100と3つさ、もう人間をやめてもいい歳だが...あんた生きるのは苦しいとか何と
      かいうけど、そりゃ人間の気取りでね、正直生きているのはいいもんだよ、とても面白い」

                   わしかね?100と3つさ...旅人に話す長老

          

     長老は小屋前に咲いていた花を摘んで森の小道から降りてくる村人たちに近づくと、両足を
     踏んで音頭をとり、左手に花を持ち右手に鈴を鳴らしながら彼らを迎えた。

                 鈴を鳴らしながら村人のところに向かう長老

          

                       村人を迎える長老

          

     村人たちは、婆さんの棺を真ん中に笛や太鼓、ラッパなどを鳴らし、ヤッセ!ヤッセ!ヤッセ!
    ヨヤサ!とかけ声を上げ、花笠をつけた若い女性たちは森の小道を飛び跳ね踊りながら下って
    くる。子供たちは袋から何かをとりだし、紙吹雪のようにまき散らしている。まるでお祭りの
    ような賑わいだ。いや、これはめでたいことなのだ。99歳の生涯を終えた彼女は、村人全員の手
    で天国へ導かれていく。長老のいう通り、葬式はめでたい儀式なのである。
    ヤッセ!ヤッセ!ヤッセ!ヨヤサ!のかけ声は、長老が待っているところに近づくとさらに大き
    く響きわたる。
                様々な楽器を鳴らしながら下りてくる村人たち

          

         飛び跳ねながら”ヤッセ!”ヤッセ!”ヨヤサ!”とかけ声を上げる女性たち

          

           ”ヨヤサ!”というかけ声は、棺の人に聞かせているようにも思える。

                棺を抱えながら”ヨヤサ”とかけ声をあげる村人

          

     長老は野花と鈴を交互に振りかざし音頭をとっていたが、村人たちがそばに来るとくるりと
    前を向いて先頭にたち、旅人の前を通りすぎ墓場の方へ向かって行った。

                  村人たちを先導して墓場へ向かう長老

          

     長老のすぐ後ろに子供たち、そのあとに笛、太鼓、管楽器を持った音楽隊、棺を担いだ屈強
    な男たち、さらに花笠を被った若い女性たちと続く。テンポのよい音楽に合わせ、村人たちの
    足取りは軽快だ。

                    長老のあとに続く村の子供たち

          

                旅人の前を通り過ぎ墓場へ向かう村人たち

      

     村人が去ったあとの河畔はシンと静まりかえり、聞こえてくるのはゆっくりと廻る水車の音と
    野鳥のさえずりだけ、すがすがしい新緑の風景が広がっていた。

                      ゆっくりと廻る3連水車

          

     旅人は橋の袂まで戻り、子供たちがしたように野花を摘んで石の上に置き、清冽な流れに架け
    られた小橋を渡って水車村をあとにした。

          野花を石の上に置く旅人            水車村の風景

       

                     水車村をあとにする旅人

          

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     長老は、人間にとっていちばん大切なのはいい空気やきれいな水、それをつくりだすのは木や
    草なのにそれは汚されほうだい、失われほうだい...とくに学者はその自然を弄りまわし、人間を
    不仕合せにするものを一生懸命に発明して得意になっている...と語り、行き過ぎた科学技術の
    弊害を危惧しているが、この映画「夢」の中の第6話の「赤富士」、第7話の「鬼哭」ではそれが
    具体的に描かれている。日頃、黒澤明監督の頭にあったものだろう。
    それはともかく、改めてこの映画を見た私は、何ともいえない”やすらぎ”を覚えた。それは葬式
    をめでたいこととしてとらえ、村人たちの温かい手により人間の死が極楽浄土へ導かれていくか
    のように描かれていたからだろう。
     なお、映画は8話からなっているが、「水車のある村」8番目の最終章にあたる。

     私は近いうちにこの地を訪ね、安曇野の自然を楽しみたいと思っている。


           監督、脚本 黒澤明

           俳優 長老 笠 智衆
                 旅人 寺尾 聰
                           2026年3月23日 記    ―了―